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2011年09月29日

秋は神保町が活気づく時

読書の秋である10月が近付いて例年のように神保町を紹介するムックが発行されました。
古くから発行されてきた毎日新聞の「神保町古書店街2012」(\1500)と去年から発行が始まった神田古書店連盟発行の「神保町公式ガイドブック」(\1200)です。

例年、書店の紹介と飲食店の紹介が少しという構成です。

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毎日は古書店の紹介が中心です。

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古書店版は書店の紹介と掲載書店員が選んだ神保町付近のオススメ文と所在地・電話番号がページ下に各1行掲載されています。

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また、今年は明治大学創立130周年だそうです。
それを記念して「神田・神保町中華街プロジェクト」というものを企画しているようです。
明治大学の学生は普段は神保町まで来ていないようですが、今回は駿河台を下りて神保町に来るようです。
神保町の中華屋にはチラシが置いてあります。チラシは置いていなくても会社近くの小さな中華屋にも8月に学生が調査に来たそうです。

チラシには『現在、日本で中華街といいますと、横浜、神戸、長崎が有名ですが、かつて神保町から水道橋界隈にかけて多くの中国人、とりわけ中国からの留学生が生活していました。今日はその街が成立した時代の呼び方を活かして、当時地名標記を用いて「神田區(く)中華街」あるいは「神田・神保町中華街」と呼んでいきたいと思います。この中華街はほかの中華街と比べると非常に大きな特徴があります。横浜、神戸、長崎の中華街が江戸幕府の「開港」とともに、外世界との接触によってできあがってきました、言葉を換えて言えば「港」と「移民労働者」とともにできあがった中華街と言えます。この点は東南アジアの中華街の成り立ちと同じです。ところが神田區中華街の場合は、そもそも港ではなくて「内陸部」にあって、しかも「学生、留学生」が利用する街という形で形成されたという大きな特徴があります。その始まりは、清朝末期、具体的には1896年にさかのぼります。この年に中国人留学生13名が日本に初めて留学してきます。その13名のうち1人が明治大学に留学します。ですから、この神田區中華街というのは、大学の立場から言いますと、「大学」と「中国」、あるいは「大学」と「海外」が融合した中華街と言うことができます。
そして10月8日から11月19日まで中華店のスタンプラリーを開催するそうです。でも、スタンプラリーでスタンプを集めたらどうなるのかは分かりません。「スタンプラリー関連企画として、参加店舗に東日本大震災義援金募金箱を設置します。」と書いてありますが、募金ラリーではないでしょうね。

また、学生が作ったフリーペーパー〈神田・中華街〉を10月に入ってから配布するそうです。
どのようなものが出来るのでしょう…

10月27日から11月3日まで神田古本まつりが開催される予定です。これから神保町は活気づく季節です。
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